WienLetter 1
WienLetter 2
WienLetter 3
WienLetter 4
WienLetter 5


WienLetter〜 ウィーン便り<4>より

受難のクロアチア旅行記

 10月号にひき続き、今から4年前、まだ未熟な10代最後の夏、サマーコースのために 滞在していたクロアチアの島からウィーンまでの帰り道に遭遇した、不思議な出来事についてお詰ししたいと思います。

 前回、クロアチアの島から空港のある本土に向かうフェリーに乗るまでの、絶叫 マシーンも顔負けのバス道中を、そしてなんとか無事フェリーに乗り、港に到着したところまで書きましたが、私の今まで経験した数々の事件のなかでも折り紙つきの 珍(?)体験はここからが本番だったのです。

 フェリーから降り、私はその港から空港まで走っている空港バスを待つことにしたのですが、またそのバスがなかなか来ない。時刻表を見ても、少なくとも1時間に1本 は通っているはずだし、まだ飛行機の時間には充分時間があるし、外国生活で「乗り物が来ない……」という状況に免疫がついてしまっていた私は、待っていればそのうち 来るだろう……と呑気に構えて、真夏の太陽がちょうどてっぺん、1日の中で1番強い日差しの照る中、日陰にスーツケースを置き、その上に座って気長にバスを待つことに しました。そして、その朝の島での恐怖体験と鞭打ちの後遺症で、心身ともにすっかり疲れていた私は、あろうことかスーツケースの上という極めて不安定な状能にも関わらず、 眠りこんでしまったのです。はっと目を覚ましたとき、すでに日は少し傾き始めており、周りもなんとなく騒々しい感じ、時計をみるともう飛行機出発時間まで1時間しかない のです。

 私もさすがにあせって、けれどまわりを見回してもパスが来た形跡がどこにも見当たらないのを不思議に思い、近くに止まっていた市内バスの運転手に尋ねると、空港バス はクロアチア・エアラインが発着する日しか運行しない……と言います。残念ながら私の飛行機はクロアチア・エアラインではなく、そしてちょうどその日はクロアチア・ エアラインの飛ばない、つまりパスは1日中待ったところで決してくるはずのない日だったのです。

 顔面蒼白になり、ますます痛くなった体と荷物を抱えて、近くのタクシー乗り場まで走り、 運転手に状況を説明して、時速100キロ近く、空港までの近道だという舗装されていない砂利道を、その日2回日の超特急アトラクションを決行すること15分、約3分の1の時間 で空港に到着し、カウンターに飛び込むと、どういうことか、予定表には出発時間まで30分以上あるというのに、もう、飛行機は離陸いたしました……というではありませんか!

 私の頭はすでにオーバーヒートしており、なにがなんだかさっぱりわからない。ひたすらウィーンに帰らなくてばならないんだと言い続けていると、たぶんひどい格好で必死の形相 をしていたのでしょう、カウンターのお兄さんが、ともかく飛行機は行ってしまったのだから、チケットを明日に変えてあげるから、今日は1日ここに泊まって、明日の朝早くの便に乗れば いい……と空港のそばのホテルを取ってくれました。飛んでいってしまった飛行機を追うわけにもいかないし(いまだにどうして早く飛んでしまったのか謎ですが)、チケットは変えてもらえて、ホテル代も負担してくれるというし、なにより立っているのもやっとなぐらい体中が痛かった私は、ともかくホテルに行き、そのまま着替えもせずに正体不明に眠りこけて しまいました。そして再び日が覚めた時はすでに次の日、だいぶ日は昇っており、チケットを見ると、今度こそ完全に飛行機は行ってしまった後でした。

 自分の失敗にがっくりし、昨日よりさらに痛くなっていた体と重い心を引きずって空港に 行くと、昨日と同じカウンターのお兄さんが、笑いながら、いいよ、今日の夜の便にしてあげるよ、だからもう少し寝ておいでよ……とウインクつきでホテルに送り返してくれました。

 ほっとしてホテルに戻ると、寝起きのままトボトボと出て行った私を見送ってくれた、ホテルのオーナーのおじさんが待ち構えており、そんな様子じゃいけない、自分が素晴らしい 海岸を知っているから、そこに行けば生き返ったようになる、今から行こう!……と有無を言わさず連れて行かれることになりました。今振り返るとここでノコノコついていって しまったのが、これから先すべての元凶だったと思うのですが、2回もチケットをスムーズに変えてもらえ、まだ夜まで充分時間があることに、すっかり気が大きくなっていた私は、 オーナーの言うところの、クロアチアで一番美しい海岸というのを見てみたくて、その海岸に行ってしまったのです。

 そこは本当に美しい景色で、確かに生き返ったようになり、オーナーに薦められるまま (体が痛いときは泳ぐのが一番だという話に乗せられ)夕方まで、泳いだり、きれいな石を集めたり、楽しく過ごした後、自分の体が自分のものでないほど疲れながらも、今度は2時間 以上も前に空港に行って早々にチェックインを済まし、小さい空港でゲートも少ないし、もうその時刻に出発する飛行機は限られていたので、開いているゲートを通り、私は目の前に 止まっていた飛行機に真っ先に乗り込んで、一番後ろに座り、体を抱えこんで再び正体なく眠り込んでしまいました。

 目が覚めたとき、ちょうど飛行機が目的地に着陸し、皆飛行機から降りようとしているとこ ろでした。私も一番最後から皆について飛行機を降りたのはいいのですが、降りてみると、そこは飛行場らしき設備のなにもない、ただの野原のようなところなのです。不審に思って回り を見ると、今の飛行機から降りてきた乗客が全員同じ制服を着て、同じ場所に固まり、皆私を見ながら不思議そうな顔をしているではありませんか。パイロットらしき人が私にいろいろ聞 くのですが、なにしろ言葉が全然わからないので、埒が明かない。

 ともかくその場所に一つだけあった建物に連れて行かれて、ここで待っているように身振り で指示され、何もない場所で、そばでいかめしいお兄さんたちが私をちらちら見ながら小声で何か言い合ったり、私のパスポートを片手にどこかに電話しているのを聞きながら、待つこと どれくらいだったか、ようやく話し合いがついたようで、そのなかで一番偉そうな、とても怖い顔をしたお兄さんが私のところに来て、言葉では通じないと思ったのでしょう、紙を取り出 し、今日はここで寝て明日空港に連れて行ってあげる………という主旨の絵を書いてくれました。怖そうなお兄さんが無骨な手で一生懸命、明日ということを表わしたいのだろう、お日様の絵を書いていた光景、そして、私の手荷物を調べるとき、その日の午後海岸で拾ってきた石を電気にかざしたりしながら真剣に調べていた、ありえないくらい深刻そうな顔は忘れられ ません。

 再び予期せぬ一晩を過ごし、次の日の朝早く、昨日の怖い顔のお兄さんが、たぶんその場所から一番近い空港まで車で送ってくれました。ところが、その空港というのが見たことも聞いた こともないところで、私のチケットの会社はどこにもないし、誰に聞いてもここからウィーンまでは飛ばない、しかも空港にもかかわらず誰もよく英語が通じないので、何を聞いてもただ ただ首を振られるばかり、チケットの会社はインターネット専門なので、連絡先がわからないし、第一自分がどこの国にいるのかさっぱりわからない。

 携帯は電池切れで、お金もなく、つまりどうしようもない状態になってしまった私は、なに がなんだか解らな過ぎて、パニックを通り越して、一種の開き直りなのか、放心状態に陥り、そのうち全てがばっと解けて、大丈夫になるのではないか………などありえない期待とともに、 その場に座りこんでしまいました。

 無心に来るはずのない何かを待ちながら、午後になってもずっと座り続けている私の前に、その日も暮れようとする頃、いきなり壮年のスーツのビシッときまったビジネスマンらしき男 の入が現われ、英語で「どうしましたか? なにかお困りですか?」と尋ねてくれたのです!わらにもすがる思いで、たどたどしい英語を駆使しながら状況を説明し、ウィーンに帰りたい、 と言うとその人は、私のチケットを見、大丈夫、なんとかしてあげるから……とどこかに連絡をしてくれ、私がウィーンに帰れるよう、手配をしてくれました。

 しかも私の様子を心配したのか、私が無事飛行機に乗れるまで一緒に待っててくれるというのです。「君、おなか空いてるよね」とレストランに連れて行ってくれ、話をしてみると、そ の人はイギリス人で所用でこの空港に立ち寄ったのだけど、空港の人がなんだか困っているアジア人の女の子がいる、というので見ると君がいて、自分も一年だけ日本にいたことがあって、 君と同じぐらいの娘もいるし、放っておけなくて声をかけた……と言います。映画ならここで運命の出会いを感じて恋が始まる……はずですが、現実はそうはいかないもので、前の日から ろくに食事をしていなかった私は安心感からか、急激にものすごくおなかが空いてしまい、日の前のお肉を、世の中にこんなおいしいものがあったか、と感激しながらガツガツロに放り 込み、お寿司が好きだというその人に、外国の寿司は不味い、どうしてご飯をあんなに甘くしてしまうのかよくわからない、ウィーンではネタが鮭ぐらいしかなくて油っぽくてお寿司とは いえないのに、みんなヘルシーだと思って食べているのはおかしい、などと不毛な会話をした後、それでもバーミンガムに住んでいるというその人に、イギリスに行ったら絶対連絡する約 束をし、涙ながらに感謝を表明して、無事飛行機に乗り込み、世の中には良い人もいるものだ ……と感動しながら、予定より2日も遅れてウィーンの我が家に足を踏み入れたのは、その日の夜更け、もうすぐ次の日になろうとしている時刻でした。

 今でもこの旅行を思い出すと、細かいディティールは鮮明に記憶に残っているのに、仝体的 になんとなく夢のなかの出来事のような、蜃気楼のように曖昧な感触がします。そして未だに、あの間違って着いてしまった所はどこだったのか、なにがどう間違ったのか、 謎のままです。ただわかっているのは、この事件以降もクロアチアに行くとなにかしら頭を悩ませる出来事に遭遇する私にとって、クロアチアという国は美しいけれどなかなか油断のなら ない所だ、ということ。ぜひ次に訪れるときは何事もなく帰って来られるよう、襟を正して行こうと今から考えています。