WienLetter〜ウィーン便り<2>より
夏休みが始まりました。ウィーンの夏休みはとても長い。ヨーロッパ、アメリカなどは夏休みが日本より2倍以上長いことはよく知られていますが、私たちウィーンの学生の夏休みは7月から9月までの3ヶ月。
そのほかにも、クリスマスとイースター休暇、またウィーン国立音大は2月に春休みが1ヶ月有り、5月など祝日が実に4日以上ある・・・・・という、学校に行き始めたと思ったら、すぐにお休みしなさい・・・・・・というお知らせが来るといった感じで、しかも教授たちは個人的な理由でよく休講にしてしまうし、いったい勉強をしてもらいたいのか、教える気があるのか、疑ってしまうこともしばしばです。きっと、それでも学ぶ気持ちがあれば頑張ってね・・・・・・という良い意味での自主性を尊重する、ということなのかと思ったりもしていますが、ともかく、夏は長くお休みする、というのは変更不可能な事実のようです。
そして、夏休みといったら、旅行です。長い旅行に行くというのがウィーンを始めヨーロッパどの国でもメジャーな夏休みの過ごし方であり、今度の夏休みをどこで過ごすか・・・・・・という課題は夏が来るまでの、最大の関心ごと、そして楽しみであって、そのために仕事をしている、といっても過言ではない人たちも少なからずいるようです。
夏休み近くになると、友達同士で話す会話は「この夏はどこに行くの?」といった内容に終始し、ウィーンの音大はほぼ外国人が占めているので、それぞれの国に帰る、という場合が多いのですが、ヨーロッパ出身の外国人は、実家に帰ってから家族と旅行をする、そしてその後、恋人や友達とどこかに休暇を過ごしに行く・・・・・・など、どちらにしても、長い夏休み、旅行なしにはありえない、といったところなのでしょう。
そして又、夏はいろいろな観光地で夏期講習会が開かれているので、旅行に行きつつ、レッスンも受ける・・・・,・というプランがたてられるのは、音楽学生にとってはうれしいことです。地理上の利点で留学していると、そういうプランが何回かたてられ、また掛け持ちもできるというのは、留学しているメリットの1つかなと思っています。
私も、講習会を受けるおかげで、ずいぶんいろいろなところに、バカンスをかねて行くことができています。オーストリアだけでも、ザルツブルクではあの有名な音楽祭がありますし、その周りを囲む山々はザルツ・カンマングートといって、かの「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった、美しい自然を堪能することができます。
また、オーストリアはドイツ、スイス、チェコ、ハンガリー、そしてイタリアなど数々の国と国境を接しているのでヨーロッパであればどこの国にでも同じような状況ですが、ちょっとそこまで・・・・・・東京から大阪に行くような気軽な気分で、電車でも飛行機でも車でも軽々と国境を越え、旅行に行くことができるのです。
特にヨーロッパでは学生という身分を持っていると、黄門様の印籠みたく、ただちに優遇されるようになっており、特典がいっぱいで、お金が無くても、それなりの旅行ができるのです。夏になると、バックパックを背負った人たちを(女の子1人という場合も多いのが驚きですが)どこにいても見かけることができます。
しかし、なんといっても夏休みは長い。2ケ月もあるのです。1ヶ月思いっきり遊んでも、あと1ヶ月残っているわけです。もちろん、講習会に行ったり、コンクールを受けたり、また日本に帰ったりしていれば、あっという間に過ぎてしまう・・・・・・と言うこともできるし、事実、私も夏休みをいつも忙しく過ごしていることが多いのですが、それは、わざわざ予定をいれているから、忙しく過ごすことができるだけで、もし、学生でもなく、お金も無く、家族もいなかったら、(ウィーンで3ヶ月過ごさなくてはいけなかったら)いったいこの長い休みをどうやってすごしたらいいものか、考え込んでしまうと思います。なぜなら、ウィーンという街は、遊びたいという欲求に対して、不親切きわまりないところなのです。
日本であれば、少し時間が空いた時にできる楽しいこと・・・‘・・というのは山のようにあります。遊びに行く場所は、数え切れないほどあるし、きっとショッピングを1ヶ月毎日しても決して見るところがなくなる・・‘・・・ということはないでしょう。外出しなくてもテレビをつければ、いくらでも番組はあるし、いつだってどんな欲求にもすぐさま応えられるよう、準備が万端に整えられています。まるで、そのサービスを受けないなんて、人道に反する(?)・・・・・・といわんばかりです。
けれど、ウィーンは違います。サービス精神が足りないのか、お休みの時に、楽しみを提供してくれるもの、サービスが日本とは段違いに少ないのです。
もちろん、お金があればカジノに行ったり、それこそちょっと旅行に行くことができたり、いくらか話が違うのかもしれませんが、どちらにしても、ウィーンでできること、遊びに行かれるところというのはとても少ない。できることといったら、映画、ショッピング(行くところは限られていますが)、1つしかない遊園地、コンサート(夏は休み)、食事など、なにしろ変わり映えの無いところしかないのです。あとは、季節が良くなれば自転車やピクニックなど自然派な過ごし方が多くなりますが、なにより1番私が感じるのは、街に人を楽しませてあげよう・・・・・という雰囲気があまりないことです。
人の神経を刺激して、こんな楽しみもあるよ、あれもこれも楽しいよ・・・・・・という、私は一応都会で育ったので、そういう人工的に人をわくわくさせるような空気を日本ではいつも感じて生活していたのですが、そんな派出に装飾された誘或がこの街ではあまり存在しない、楽しみたいならどうぞ自分で楽しみを見つけてください・・・・・といった感じ、人の生活に無関心な街といってもよいのかもしれません。
ウィーンという街は、もし例えば、どんなに時間があったからといって、何かする、しなくてはいけないなんてことはない、別に何もしなくていいんだよ、つまり、おおいにぼーっとできるところなのです。これは語弊があるかもしれませんが、「ぼーっとすること」が良いか悪いかではなく、例えば日本で1時間ぼーっととりとめもないないことを考えつつ過ごしたら(私はよくしていたのですが)、なんとなくもっといないことをしてしまったんではないか、むだなことをしていたのではないか、という多少なりとも罪の意識を感じてしまいますが、それは、「時は金なり」ではないですが、限られた人生、時間を無駄にせず、なるべく有意義に過ごした方がいいのではないか・・・・・・この「有意義」=生産性(何かを生み出さなくてはいけない)という価値基準からきたものと思われ、多分にお国柄的な感覚なのだろうと思います。
少なくともウィーンという街では、街自体にそのような人を追い立てるような空気が流れていないので、おおいに、自責の念にかられることなく、ぼーっとすることができるわけです。
ぼーっとしてて良いなど、勝手な己解釈にしか過ぎず、時間があったら寸暇を惜しまず勉強すべきだといわれそうですが、ぼーっとするのが大好きな私が、多少自己弁護気味にいえば、ずっとぼーっとしているわけではなく、ただ時折、少し時間ができたとき、お茶を飲みながらとりとめの無いことに思いをめぐらしながら、ぼーっとしていると、時々、今その時の時間の中に、景色の中に自分がはいりこんでいるような、時間の粒子が自分の周りで、綿のように、音も立てずふわふわと蓄積を始めているような、そして、例えば、そんな時、急に自分の今見ている空が青い理由、木の葉が緑な理由が、何の脈略も無く理解できるような、そんな感覚を味わったり、普段感じたことも無かった様々な感覚が身体のどこからか湧き上がってくることがあり、この街のゆっくりとした、なにも咎めようとしない時間の流れ方が私の体に合っているのではないか、私の存在が限りなく許されているような、そんな温かさをこの管の時の流れに感じます。
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