メールマガジンvol.8
2018年9月

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「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学で知られるイギリスの小説家、ロアルドダールの自伝的作品
「少年(原題Boy-ダールが家族から少年時代こう呼ばれていたことに由来。ダールはこのBoyの署名で母親が
亡くなるまで毎週1通手紙を書き続けた)」を原語(英語)で読む機会があって、第2次世界大戦前のイギリスの
当時の様子や、寄宿学校の光景など興味深くはあったのだけれど、読み物としての自伝というのは書くのは
難しいのかもしれないと思いました。
好きな作家や偉人、歴史的人物の生涯となれば、小さい頃何味のスープが好きだったという話でも、
なるほどなるほど、それで体が大きくなったのね!などとその人物のその後の経緯と照らし合わせながら
夢中になれるのかもしれないけれど、特に好意があるわけでなく、注目の人物でもなかった場合、まつわる
エピソードが面白くなければ、ただ肉よりも魚のスープを飲んでいたという話をきいてもふーんそれで・・としか
思えないもので、私にとってのダールも、彼の作品をあまり好んで読んだことのない身としては、小学生の頃
通った駄菓子屋さんのお菓子の説明をこと細かくされても、特にその場所がイギリスでおいしいお菓子があるとは
思えない先入観もあり、そして案の定ちっとも食指が動かされない真っ黒で細長いリコリス味(私にとっては
風邪薬シロップの味)の通称「リコリス靴紐グミ」‐ダールのお気に入りだった‐の食べ方など、どうでもよいとまでは
いわなくても、寝る前に読むと途端に瞼が落ちてくる箇所で、何度も同じところを読み返し、そういえばここは昨日も
読んだかもしれない、次はどこからだったっけ?(何しろダールの文章は長いものは極端に長く、短いものは極端に
短い)という作業を繰り返して何とか読み終えたという風になってしまいました。もちろん、いたずら少年ダールの
起こす事件や、寄宿学校でのムチの制裁のことなど、ダールの作品の物語や登場人物とリンクする話題、
人物が出てくるし、それをちょっと皮肉に書き記すダールの視点もダールらしくて、文章も(これは日本語の場合
訳者にもよるのかもしれないけれど)リズミカルで、読んで面白い本なことは確かだけれど、では読みごたえが
あるかとなるとやはり彼の小説の方が、(ちなみに私は小さい頃からあまり好きではなかったのですが)、
よっぽど面白く感じられます。
よく人は誰でもその生涯に一冊、素晴らしい本を書くことができる、つまり、自分の人生、来し方を記せば、
それは世界で唯一の物語となるわけで、人生は小説より奇なりというように、人一人生きていれば悲喜こもごも、
様々なドラマは日常的に起こっていているし、たとえ平凡に見えても、何も起こらないことだってストーリーに
なりうるわけだから傑作になるはずだというわけで、(確かにその通りだろうけれど、それはどこをどう切り取り、
どう表現するかにかかっているわけで)これを演奏に当てはめるとすると、自分の生涯で一度は世紀の名演が
できるということになるのだろうかと考えてしまいます。
小さい頃、聴いている人が皆全員思わず感激で気絶してしまうほどのこの世ならぬ美しい音が出したいという
壮大な夢を描いていました。成長するにつれ、美しさの定義というものは人によって違うもの、美しさの認識には
個人の程度があるということ、またたとえ名演だから、美しいからといって、皆が皆打ち震えて感動するという
わけではなく、まして美しくなくても人は感激するものだということ、何よりも、自分の音で人を感動させようなどと
いうそもそもの立ち位置が、おこがましい話だということを曲がりなりにも学び、今はレミゼラブルのヴィクトル・ユゴー
言うところの「音楽は言葉にすることができないが、黙っていられない部分を表現する」 の「言葉にすることが
できないが黙っていられない部分」を自分なりに表現していくことができたら良いなと思うようになり、
だいぶ思い上がりはなくなったものの(でもそもそも表現しようなどと思うこと自体思いあがった行為だという人も
あるから充分思い上がっているのかもしれないけれど)それでも空を見上げてその果てがどこかにあるのだろうかと
思いめぐらすごとく、(夜空を見上げて、星に思いをはせるかのごとく)何とも気宇壮大な夢を追い続けているわけで、
もし人生のうち一回でも世界中の人の心をゆらす、私がヴァイオリンを弾くことでしか表現することのできない何かを
奏でることができるのなら、差し出せるものはあまりなくて、パガニーニは悪魔に魂を売ったそうだけれど、この現代
たぶん悪魔もたくさん魂をもらいすぎていて、ストックはうなぎのぼりでもう十分と思っているかもしれないし、
何ができるかわからないけれど、音楽家冥利に尽きるとその瞬間を思うだけでも心が熱くなります。
 9月になり、欧米の新しい学期(年度)が始まるこの季節がくると無性にお芝居が観たくなります。ダールの
人気児童小説「マチルダ」のミュージカルはこの時期に初演を見たこともあり、9月に入ると毎年安いチケットを買って
観覧、楽しさ満載のこのミュージカルの第2幕、子供たちが大人を皮肉る歌を歌いながらロープを伝って舞台に
おりてくるシーンやビリーエリオット以来最高と評される楽しい歌の数々を堪能し、舞台がはねた後、回転ドアから
一歩外にでたときに吹き付ける風が、肌にぴりりと突き刺さる冷たさで、思わず身ぶるいをし、そろそろコートを
出さなくてはと思いながら、腕を抱え前かがみで歩き出す時、ああ今年も夏は過ぎ去り秋がやってき、そして
暗い冬がもうすぐそこまで来ていると感じます。

酷暑と天災の続いた今年の夏、いまだ暑さは続き、台風は次なる勢力を蓄えているのかもしれませんが、
日が暮れると、その風の音に、月の光の淡さに、鈴虫の声に、秋の気配を感じます。
Those who don’t believe in magic will never find it.
「魔法を信じない者は、それを見つけることができない」ロアルド・ダール
今年は、昨年よりもひどい事件が多い気がする・・毎年そんな言葉を口にしながら、そして本当に少しずつ
世の中は暗い側面がむき出しになっていくのかもしれないけれど、Miracleがあること、起こることをそれは決して
世界基準のことではなく、明日は今日とは違う、心震える音を出すことができることを信じて、
※以下の記事は配信当時のご案内です。
明日9月16日((日)17:00~は横浜山手ユニオンチャーチにて(当日券あり 問い合わせ:
http://itokanoh.com/info.html 045 6226780)、そして今年は11月3日(土)18:00〜にも山手のベーリックホールにて
オータムコンサート、また恒例のみなとみらいクリスマスリサイタルは12月22日(木)19:00〜、丁寧に心をこめて
演奏していきたいと思っています。