メールマガジンvol.7
2018年7月
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谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」の中に「ネロ」という、2歳で死んでしまった子犬「ネロ」に
語りかける詩があります。「ネロ。もうじき又夏がやってくる。〜しかしそれはお前のいた夏ではない。」
という書き出しで始まるのですが、この詩集が好きで、留学時に持っていった私は、留学中に前の犬が
死んだとき、冬にも関わらず、この詩を読み、音楽好きで自己主張が強く問題児で、でもいつだってそばにいて、
兄弟のようだったハスキー犬が、その瞬間隣に座っているような感覚がして、気が付くと一日中この詩を
口ずさんでいました。詩をそらで無意識に言えるようになったころ、マイナス10度近く、外に出ればすぐに
鼻の中に氷のかけらを感じ、重く厚い雲が覆い、うっすらと明るく白いだけの空、そしてそれも午後3時には
暮れてしまう暗く寒いウィーンの冬の下で、下腹がうずくような寂しさが少しずつ消えていったことを思い出します。
この4月に旅立った犬にも納骨時にこの詩を書いて一緒に燃やしてもらったのですが、久しぶりにこの詩を
読んで、とてもシンプルで、他の初期の作品と同様、心にまっすぐ届く詩であり、そしてそうだ、夏は別れの
季節なんだと改めて妙に納得しました。
別れがあるいうことは、出会いがあるということで、夏休みがあり、日常とは違うところで思ってもみない人たちと
出会い、そして別れるという経験を、実際多くの人がしていて、だからひと夏の思い出とか、ひと夏のなんとかとか、
忘れられない夏とかいろいろ音楽にも文学にも表現されている、一般的な感傷といえばそれまでなのですが、
音楽家の場合、夏には音楽祭という世界各地から何百人という同業者たちが集まり、共同生活を送り、かなり
密接に数週間過ごしたあと、たいていは、まるで一つの映画がおわってしまったように、ぱたりと音信不通となって、
たぶんもう一生会わないのだろうという出会いと別れが山のようにあり、その山のような中でもいくつかは、
ふるいの中に残った砂金のように、数年後、あるいはもっと時間がたってから、夏が来るとふと思い出すことがあり、
その記憶が思いのほか鮮やかだったりして、でももう決して出会うことはないのだろうと思うと、夏という額縁で
たくさんの別れがすぱっと切り取られるような感覚がします。
6月中に梅雨が明け、いつもより早くやってきた今年の夏の始まりに、浮かび上がる鮮明な別れの記憶は、
まだ学生時代に参加した北ドイツの音楽祭で出会った、あらゆる水の音を口で表現できるドイツ人のヴィオラの
男の子のことです。皆でWaterboyと呼んでいて、彼の名前も顔もすっかり忘れてしまったけれど、
期間中滞在していた下宿先のこれもチャーリーだかチャックだかの名前のバーニーズ犬が、その水音の物まね、
とくにごぼごぼという音が大好きで、家でリハーサルがあって彼が家に来ると大喜びで、彼にまとわりついて離れず、
私はその子(犬)が大好きで一緒にご飯を食べて、散歩にも行き、ソファーでテレビを見て、隣で寝てと大の
仲良しだったから、少なからず嫉妬をしていて、でも彼の小川のせせらぎの水音の物まねは、穏やかで清々とした
流れが見えるようで、いつもせがんで出してもらっては大絶賛、そのくらいヴィオラもほめてくれるといいのにと
(彼はあまりヴィオラが上手ではなかった)と言われながらも、よく一緒に演奏していたのですが、ある日突然、
音楽祭の途中でいなくなってしまいました。その理由はその後も不明で、ドイツ人らしくとても律義な性格で、
Waterboyの名に恥じず爽やかな男の子だったので、何があったのだろうと皆で大家さんとも、寂しそうにしている
犬とも首をかしげたけれど、そのふとかき消えるような去り際はなんとなく彼の水音に合うような、そしてそのままに
最後の日を迎えました。大家さんはその後アメリカかどこかに引っ越してしまい、そしてその犬は確かその冬に
亡くなったと手紙が来たような気もしますが、それも定かではなく、ただその水音だけは今でもはっきりときれいに
耳によみがえります。
詩の最後は「しかしネロ、もうじき又夏がやってくる、新しい無限に広い夏がやってくる、そして、僕はやっぱり
歩いてゆくだろう、新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ春をむかえ 更に新しい夏を期待して、すべての
新しいことを知るためにそして すべての僕の質問に自ら答えるために」と終わり、とてもまっすぐ過ぎて、
読んでいると少し気恥ずかし気持ちにもなるけれど、数えきれない人と物と別れて、時は刻々と進むのだなと感じます。
夏の音楽祭では、町の教会がコンサート会場の一つとなり、教会でヴァイオリンといえば、バッハ、暑い屋外から、
教会に一歩入るとひんやりとした空気が体をつつみこみ、そこで響き渡るバッハのその何事にも動じない、
クールな音楽は、清涼飲料水のように火照った体と頭を冷やしてくれます。なぜか夏に教会で聴くバッハは、
他の季節の時と違うような・・その音楽性のように彼の音楽をクールに弾くのは、至難の業で、そして夏は汗による
指のトラブルに悩まされることも多く、暑さと湿気で楽器もご機嫌麗しくない季節だから、あまりハードな
パフォーマンスは避けるようにしているのですが、7月30日(日)19:30〜、ジャズライブハウスにもかかわらず、
バッハ好きのオーナーが夏も開催するバッハ祭り(今年は生誕333年)の最終日に、バッハの無伴奏パルティータの
第3番全曲、そしてイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番という、気合いの必要なソロ曲を軸に、
猛暑をふきとばすべく、あまり知られていない小曲を含んだディープなソロ・パフォーマンスを行います。
また、依頼されてヨガや詩や演劇とのコラボレーションも多数予定しており、今年の夏はどんな印象的な出会いと
別れがあるのか楽しみに、私も楽器も暑さにめげていられない忙しい夏になりそうです。
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