メールマガジンvol.1
2017年1月27日

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もっと身近にヴァイオリンの生音をお届けするヴァイオリニストの加納伊都です。

早いもので2017年1月も末、今年の新年の目標は何にしようかと考えているうちに2017年という数字も目に慣れ、
耳に親しむようになってきたような・・・
年毎にますます早く、飛ぶように過ぎゆく時の流れに身を任せ、順応する自身を時々はっと思い返すとき、
いつも「人間とはどんなことにもすぐ慣れる動物である」という獄中のドストエフスキーの言葉を思い出し、
その言葉があまりに真実であることに、思わず苦笑いをし、そしていくばくかの焦燥感を感じます。

新年の目標といえば、新しい年、新しいことに取り組もうという気持ちはどこの国でも共通のようで、
新年の集まりで話題になる一大テーマですが、必ず何か目標を決めて、挑戦すべきだ、新しい年なのだから・・と
真面目に考えるのは日本人とドイツ人だけのような気がします。

もちろん皆、口にはしますが、オーストリア人は希望を込めて「もっと練習する」「貯金をする」など現実的だけれど
なかなか履行困難なことに終始し皮肉屋を自認するイギリス人は「プランターをローズで埋め尽くして、
チェルシーフラワーショー(世界有数のフラワーショー)出展を目指す」などイギリス人のガーデニングとローズ好きを、
そしてイギリス人なのにガーデニングが好きではない自分をと二重に皮肉った目標などで皆を笑わせるのに対し、
ドイツ人と新年に会うと、今年は何曜と何曜、週に2回は走ることに決めたから、リハーサルはそれ以外にしましょうなど
すでに始動を始めていることも多く、ドイツ人の変わらぬ合理的なキャラクターを再確認させられます。

ドイツといえば、今やイギリスが抜けるEUを先頭切って率いるパワフルな国ですが、今年最初のショッキングな話、
それは、この一月中に幾人かの人にモーツァルトは本当はドイツ人なんでしょう?・・と言われたことです。
確かに、10年ほど前、ドイツのテレビ番組で「もっとも偉大なドイツ人は誰か」というアンケートを行ったところ、
モーツァルトが300票を取得して話題となり、そもそもノミネートすること自体がおかしいとオーストリア大使館が
抗議したことから、議論が巻き起こったことがありました。

正確に定義すると、モーツァルトが生まれた街ザルツブルグは当時オーストリア帝国領ではなかった
(大司教国で一種の独立国家)また、モーツァルト自身も自らのことを「れっきとしたドイツ人として」と書き残しており、
(ただしこの意味合いは今のドイツのことではなく、ドイツ系の・・という意味に解釈される)ドイツ人と定義しても
おかしくはないのですが、オーストリア人のモーツァルトを誇る気持ちは強く、それは双方認めるところであり、「モーツァルトは
オーストリア人」というのが、大方の見解であり、それはこの論争後も変わっていないはずが、イギリスにいるときも、
私がモーツァルトが好きでウィーンに留学したというと、だってモーツァルトはドイツ人でしょう?・・と何度か不思議がられ、
(ただしイギリス人はこの時代の音楽の歴史に詳しくない人が多い)そして今度は日本でも聞かれるようになると、
これは認識が変わりつつあるのか・・と考えこんでしまいました。

一昨年には、バッハのチェロ組曲が妻の作であったことが判明され、今まで当然と思っていたこと、
ありえないと思っていたことが、あっというまにリバースされ、違う側面を見せ、さああなたはどうする?と問いかけられることが
現実の生活でも多くなってきている気がします。イギリスのブレグジット、表明された完全なるEU単一市場離脱も私にとって、
多くの面で今までの認識に一石が投じられた事柄でした。

それでも、モーツァルトの音楽の素晴らしさは不変であり、私のモーツァルト好きも、今もって昔と変わらず、生涯変わることは
ないのではと思っています。

明日の、今年最初のソロのパフォーマンスで、モーツァルトは演奏しませんが、モーツァルトがオーストリア人だろうと、
ドイツ人だろうと、EUの存在が危うくなろうと、日本人にあるまじきことに、いまだ新年の目標がたてられていなくとも、
今年もモーツァルトをたくさん演奏していきたいと決意しています。