Programnote 2013

- - 加納伊都ヴァイオリンリサイタル - -

W.Aモーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第34番 変ロ長調 KV 378
第1楽章 Allegro Moderato アレグロ・モデラート
第2楽章 Andantino sostenuto e cantabile アンダンテ 歌うように
第3楽章 Rondo Allegro ロンド・アレグロ
クラシック音楽を知らずともその名は天才の代名詞として名高い、古典派音楽を代表するオーストリアの作曲家モーツァルト(1756-1791)が1779年、2年近くに及んだマンハイム・パリ旅行から帰って間もなく、女性ピアニスト、ヨーゼファ・フォン・アウエルンハンマーに献呈した6曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタの1つであり、一説では、当時の名ヴァイオリニスト、ブルネッティのために作曲されたともいわれている。名作の多いモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのなかでも、旅行先パリより持ち帰った華やかで洗練された持ち味から、好んで演奏されることの多いソナタである。

天才と言えば、常人が思いつかないような、創造的、奇抜なアイデアと行動力で我が道を進んだ人たちというイメージがありますが、実はモーツァルト、22歳の時に書いた父親あての手紙の中で「僕はどんな種類や様式のものでも、かなり上手に自分の作品に取り入れることができます」という一節があり、神の啓示のごとく、メロディーがピピッと頭の中におりてきて、溢れ出し、寝食忘れて一心不乱に書かずにはいられない、そんな天才モーツァルトの姿を想像していた私は、ええ!それって模倣じゃないのか!と少なからず驚いたのですが、22歳にして様々なスタイルの音楽を模倣し、自分のものにする技術を完璧にマスターしていたこと自体が何より天才の証なのかと、かなり享楽的な性格で知られるモーツァルトの、作曲家としてクールに模倣し、なかなか仕事人でもある一面を思い描きながら演奏したいと思っています。
J.ブラームス ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 作品100
第1楽章 Allegro amabile アレグロ 甘く
第2楽章 Andante tranquillo-Vivace アンダンテ 静かに-ヴィヴァーチェ
第3楽章 Allegretto grazioso アレグレット 優雅に
ロマン派を代表する作曲家でありドイツ音楽の三大Bの一人(他二人はバッハとベートーヴェン)、ハンブルグで生まれウィーンに没したブラームス(1833-1893)がスイスの避暑地トゥーン湖畔にて1886年に作曲したヴァイオリン・ソナタ。全部で3つあるヴァイオリン・ソナタのうち、唯一の長調であり、他二つの作品の持つ、重厚な響きとは一味違う、明るい曲想で知られている。ブラームスの作品としてはかなり後期に分類され(1890年以降主だった作品は残されていない)、壮大で重みのある和声と共にかなり内省的な曲の多い後記の作品としては異質であり、ブラームスの人生の中でもめずらしく多くの友人と親交を結び、充実した生活を送っていたというこの時期のブラームスの様子が投影されているといわれている。

ブラームスと言えば、様々な人生経験を踏まえ、ロマンティックで情熱的ながらも切なさ、哀しみなど、人生の味わい深さが現れる大人の音楽というイメージが強く、大人になれないうちは、きっとブラームスらしさを表現することは難しいのだろう、いつになったらブラームスを弾ける資格がでてくるのかなと、いまだに私にとってブラームスはなかなか敷居の高い音楽の1つなのですが、このソナタ第2番はそんな私でも大丈夫!と背中を押してもらえるような、明朗な響きを持っており、中世より、スイスアルプスをのぞむ美しい湖で有名な町トゥーンの、風光明媚な景色の中で、木漏れ日のなかにたたずみ作曲をする、穏やかなブラームスの背中を少し身近に感じながら演奏できればと思っています。
S.プロコフィエフ
ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 作品94a
第1楽章 Moderato モデラート
第2楽章 Presto プレスト
第3楽章 Allegro con brio アレグロ 生き生きと
バレエ「ロミオとジュリエット」の音楽や、自身もピアニストであったため、数多くのピアノ曲を残したプロコフィエフは、ショスタコーヴィッチなどと共に20世紀初頭から第2次世界大戦にかけて活躍した近代ロシアの作曲家、ピアニスト。ショスタコーヴィッチやハチャトリアンなどと同様に社会主義国ソ連を代表する作曲家とみなされるが、アメリカへの亡命、帰国後も批判にさらされるなど、その生涯は必ずしも順風満帆であったわけではない。1918年、アメリカに亡命する際日本を経由したため、東京、横浜にてコンサートを行っており、また日本にとっては初めての海外大物作曲家の来日であったため、日本の音楽界に大きな影響を与えたといわれている。このヴァイオリン・ソナタ第2番はロシアに帰国後の1942〜1943年、第2次世界大戦中、疎開先にて作曲されたフルートソナタを1944年、20世紀を代表するロシアのヴァイオリニスト、オイストラフの熱心な勧めによってヴァイオリン用に改作されたものである。フルートソナタとしても好評を博していたが、現在ではヴァイオリンソナタとして演奏されることの方が多い。

プロコフィエフは美しくイノセントなメロディーを作ることで有名で、わがままで高慢であったらしい彼の性格からは想像もつかない、ロシアの抒情ここにありといった思わずうっとりしてしまうメロディーたちがこのソナタにも数多く存在して、ロシア人の繊細で詩的な面をあらためて思わせる作品なのですが、プロコフィエフ、またショスタコーヴィッチの作品でもそんなピュアな一面を見せた後に、いきなりがらっとロシアの強大なミニタリズムを思わせる、圧倒的なシーンが挿入され、それが息もつかせず圧迫した後、また非常に詩的になりと、ロシアという国が持っているであろう、圧倒的な側面と反対に非常に繊細で洗練された部分とが入り混じり、そしてそれが絶妙に組み合わされていて、これがロシア的というものなのかと思わせる、ロシア特有の曲想を楽しんでいただけたらと思っています。
C.サン=サーンス 序奏とロンド・カプリツィオーソ 作品28
チェロの名曲、「白鳥」などで知られる近代フランスの作曲家サン=サーンス(1835-1921)は、作曲家のみならず、ピアニスト、オルガニストとして活躍した。モーツァルトと並び称されるほどの神童として知られ、3歳で作曲、7歳でピアニストとして聴衆を魅了し、また音楽以外の分野にも秀で、天文学、詩人としてもその多才ぶりを発揮した。この序奏とロンド・カプリツィオーソは1863年に作曲され、当時人気の高かったスペインのヴァイオリニスト、サラサーテ(自身も「カルメン幻想曲」など多くのヴァイオリン曲を作曲した)に献呈された。フレンチらしい、華やかでエスプリの効いた曲想から映画音楽に使われるなど人気の高い作品である。

素晴らしい作品を残しながらも、存命中は社会的名誉にめぐまれなかった作曲家も数多い中、このサン=サーンスは神童で知られた幼少時代より、パリ音楽院を首席で卒業したのちは、オルガニストの最高峰と言われたパリのマドレーヌ教会のオルガニスト兼作曲家として賞賛をあび、晩年には最高勲章であるグラン・クロワを授与され、86歳で没した際は国葬で弔われるなど、輝かしい功績に彩られた生涯であり、博識だったことも加えて、さぞや満ち足りて、懐深く、威厳のある音楽家だったのではと思いきや、かなり嫌味で毒舌家だったそうです。当時新進気鋭のピアニストだった、かのコルトー(20世紀前半を代表する名ピアニスト)に「君程度でピアニストになれるの」といった話は有名ですが、それほどに音楽について、そして他様々なことに長け、熟知していた彼の、ヴァイオリンという楽器が描きだすことのできる華やかな音の世界を表現できたらと思っています。
文/加納伊都
Piano 加賀都喜乃