Programnote 2009

- - 加納伊都ヴァイオリンリサイタル - -

F.クライスラー プニャーニのスタイルによるテンポ・ディ・メヌエット
20世紀の名ヴァイオリニストで、作曲家でもあったウィーン生まれのフリッツ・クライスラー(1875-1962)は、演奏先の図書館などで過去の忘れ去られた曲を発掘し、自らの手を加えて演奏することを楽しみにしており、この曲も、18世紀に活躍したイタリアのヴァイオリニストで作曲家のガエターノ・プニャーニの様式にアイデアを得た、古典派時代の貴族たちの優雅な生活を髣髴とさせる1曲となっている。
W.A.モーツァルト ロンドK250(ハフナーセレナーデより)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)はアイネ・クライネ・ナハトムジークなどの愛称で知られる、管弦楽のためのセレナーデを全部で13曲作曲した。この「ロンド」はセレナーデ第7番、大富豪ハフナー家の結婚式の前夜祭のために作られた通称"ハフナーセレナーデ"の第4楽章をクライスラーがヴァイオリン用に編曲したもの。ロンドとは日本語で輪舞曲と訳される、同じ旋律を、異なる旋律をはさみながら何度も繰り返される形式のことをさす。
L.ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ 第3番 Op.12-3 変ホ長調
第1楽章 アレグロ・コン・スピリット
第2楽章 アダージョ コン・モルト・エスプレッシーニョ
第3楽章 ロンド:アレグロ・モルト
言わずと知れた大作曲家ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1710-1827)は生涯で10曲のヴァイオリンソナタを創作した。9番と10番をのぞくほとんどの作品が、「初期」といわれている時代(〜1802年ごろまで)の作品で、この第3番もベートーヴェンが1792年ウィーンに移住してから5年後の1797年から1798年にかけて作曲した3つのヴァイオリンソナタのうちの3曲目にあたる。彼の師であった、映画「アマデウス」でモーツァルトを苦しめたことで知られる、ウィーン音楽界の当時の権力者アントニオ・サリエリに他の2曲とともに献呈された。

引っ越し魔のベートーヴェンは、ウィーンとその近郊で、34年の間に合計80回以上も(計算すると約4ヶ月に1回のペースになります!)引越しをしたそうです。難聴に苦しみ自殺を考えながらも「ただ芸術のみが、私を思い留まらせた。…」としたためた遺書で有名なウィーン市の北のはずれ、ウィーンの森が始まるハイリゲンシュタットの地には、遺書を書いた家をはじめ、「エロイカ」を書いたエロイカハウス、「田園」を書いた家などゆかりの建物が現存しています。この街の穏やかな緑と、閑静な住宅街が広がる静かで美しく心休まる景色は、まだ耳の病に悩まされることなく、音楽への純粋な愛情を溌溂と注いでいた、創作初期のベートーヴェンの明るく未来に満ちた心持を思い起こさせてくれます。
このソナタは、ハイドンに才能を認められ、ピアノの即興演奏家としての名声を確立していた頃、苦悩の作曲家ベートーヴェンの唯一明るく活気に満ちた時代の作品です。
S.プロコフィエフ 5つのメロディー Op.35a
セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)はショスタコーヴィチやストラヴィンスキーと並ぶロシアを代表する作曲家。ピアニスト、指揮者としても活躍した。ロシア革命後、アメリカに亡命する際、日本にも2ヶ月ほど滞在したことがあり、帝国劇場にてピアノリサイタルを3回行なっている。その詳細は日本滞在日記として刊行さrている。
またその頃に書きためていたというプロコフィエフ作の短編集も存在する(プロコフィエフ短編集)。20年の海外生活の後、帰国、社会主義国ソヴィエトを代表する音楽家としての地位を築いた。ストラヴィンスキーの影響下、前衛的な手法を取り入れロシア・モダニズムの若き主峰として名声を得た革命前の学生時代、革命後はアメリカ、フランスでピアニストとして活躍しながら、新古典主義の平明でありながら独自の旋律を用いた作品を生み出し、本国帰国後は社会主義リアリズムの路線に沿りつつ新しい和声感覚の作品を創作、時代と自身の背景に巧みに作風を合わせながら、独特の叙情的なスタイルを確立した。
このヴァイオリンとピアノのための5つのメロディーは、フランスに居を移した1925年、1920年に作曲した歌曲「5つの歌詞のない歌」を自身の手で編曲したもの。
”現代のモーツァルト”と評されたプロコフィエフの、聴きやすくとてもメロディアスで、けれど、ロマンチックすぎず現代的でミステリアスな旋律は、代表作「ロミオをジュリエット」やヴァイオリンソナタなど彼のどの作品においても魅力をはなっていますが、この5つのメロディーも、当時音楽界を担っていた理論的な構築を前提とする作曲家たちと違い、ほぼ感覚的に作曲を行なっていたというプロコフィエフの、旋律の天才の名称にふさわしい1曲となっています。
K.サン=サーンス
ヴァイオリンソナタ 第1番 Op.75 ニ短調
第1部 アレグロ・アジタート
     アダージョ
第2部 アレグロ・モデラート
     アレグロ・モルト
カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)は組曲「動物の謝肉祭」や交響詩「死の舞踏」などで知られる、フランス近代音楽の基礎を築いた作曲家。
ピアニスト、またオルガにストでもあったサンサーンスは、モーツァルトの再来と言われたほどの神童として知られ、2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をし、10歳でベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を暗譜で演奏したという逸話が残っている。このヴァイオリンソナタは、彼の室内楽分野における代表作の一つで、50歳のときの作。
同時代に活躍した、フランスの作家マルセル・プルーストはこのソナタを愛好し、代表作「失われた時を求めて」に登場する音楽家ヴァントゥイユのソナタはこの曲に着想しているといわれている。
全体が大きく2つに分かれており、またそれぞれが2つに分かれるのだが、続けて演奏されるため、4楽章と見る説と、第1部、第2部と見る見方と見解がわかれている。

サンサーンスはヴァイオリンソナタ以外にも、「序奏とロンド・カプリチオーソ」や「ハバネラ」など、ヴァイオリニストのレパートリーには欠かせない、華やかで、ヴァイオリニスティックな小品があり、明るい叙情性に満ちた作風から、たとえばモーツァルトのように、快活でポジティブな人柄を創造していたのですが、実際は、作曲以外にも、詩、天文学、数学、絵画、どれも一流の腕を持っており、そのあまりある才能の故か、嫌味で、完璧なものしか認めない偏狭な性格だったそうで、ある有名なピアニストに「へぇ、君、その程度でピアニストになれるの?」と言ったとか。
たとえ面会が叶う機会があっても、ぜひ辞退させていただきたいと思うのですが、やればなんでもできてしまった天才の、凡人には計り知れない頭の中を想像しながら、晩年台頭してきた印象主義の波にもまれながらも最後まで、古典主義、ロマン主義を貫いた、サンサーンスに敬意を表し、サンサーンスには一蹴されそうですが、その豊かなロマンチシズムを存分に表現できたらと願っています。
文/加納伊都
- アンコール -

Piano 荒井裕子