Programnote 2006

- - 加納伊都ヴァイオリンリサイタル - -

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F.クライスラー
(G.タルティー二)
コレルリの主題による変奏曲
もともと、バッハと同時代のイタリアの大ヴァイオリニスト、ヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトゥリル」の作曲で知られるG.タルティー二(1692〜1770)が、バロック時代の同じくヴァイオリニストで作曲家であったA.コレルリの、ヴァイオリンソナタ第10番4楽章“ガヴォット”に用いられた主題をもとにして作曲したものを、クライスラーが編曲した。原曲は主題とその50の変奏で書かれていたが、現在はそれを抜粋した形で演奏されるのが普通で、このクライスラー編は主題と3つの変奏からなっている。
親しみやすく、古典的で優雅な曲だが、意外と高度な技巧が要求される。
P.ロカテッリ
(イザイ編曲)
ヴァイオリンソナタ ヘ短調 「トンボー(墓)」op6 No.7
Lento assai e mesto
Allegro moderato e con passione
Lento
Tempo molto moderato
ピエトロ・ロカテッリ(1695〜1764)は、前述のバロック時代のイタリアのヴァイオリニスト兼作曲展A.コレルリに師事した、18世紀イタリアを代表するヴァイオリニスト作曲家である。バロック時代における協奏曲とソナタという様式を、現代に近い形に発展させた貢献者で、またカブリスなど練習曲の作曲により、ヴァイオリン技術の向上にも情熱を注いだ。このソナタは1737年に出版された12曲からなるヴァイオリンソナタ集の7曲目を、20世紀を代表するヴァイオリニストであり後年は作曲家としても活躍したウジェーヌイザイ(1858〜1931)の編曲によって、より複雑にヴァイオリ二スティックに仕上げられたもので、バロック時代のソナタとは思えないほど情熱的な箇所がいたるところに見られる。

*「トンボー」とはフランス語で「墓」という意味で、また追悼曲というジャンルのことでもあるそうですが、このソナタもその副題が示すとおり、全体的に暗く哀しい旋律によって構成されています。残念ながら誰を追悼しているのか記録にありませんが、その人の心に直接訴えかけるような哀切で感傷的なメロディーの数々は、まるで日本の演歌のようで、永遠に目覚めることのない故人はさぞかし劇的な人生を生きたのだろうと、想像するのに難くありません。
O.メシアン
テーマとヴァリエーション
20世紀を代表する現代音楽の巨匠オリヴィ工・メシアンは、1908年南フランスのアヴィニョンに生まれ、7歳で既に天才的な音楽的才能を発揮して作曲を始め、1992年に没するまで、現代音楽の担い手として、またオルガン奏者、ピアニストとして活躍した。大変敬虔なカトリックであったメシアンは神学者としても稀に見る博識で知られ、そして鳥類学者として世界中の烏の声を採言普するという偉業を成し遂げた。1932年に作曲されたこの「テーマとヴァリエーション」は、彼の最初の妻でありヴァイオリニストでもあったクレール・デルボスに、結婚の贈り物として捧げられたもので、彼の最も初期の作品の一つ。主題と5つの変奏曲で構成され、自ら「リズムの創作家」と名乗ったメシアン独特のリズム感、不思議な魅力に溢れた旋律を堪能できる。

*メシアンは、音を聴くと色彩や模様などを連想するという共感覚の持ち主で、その詳細な記述はたびたび人を驚愕させたそうですが、残念ながらこの曲についての何かしらの記述を見つけることが出来ませんでした。たしかに色の粒子が音を媒体に降り積もってくるような、繊細で不思議な空間がこの曲をはじめ、メシアンのすべての曲に存在している、そんな気がします。
K.シマノフスキ ノクターンとタランテラ op28
カロル・シマノフスキ(1882〜1937)はあまり名前を知られていないが、20世紀前半のポーランド音楽界の中心人物で、ショパンやヴィユニアフスキに次ぐポーランドを代表する作曲家の一人。裕福な大地主の息子として芸術に囲まれ、恵まれた環境で育ったシマノフスキは、ワルシャワ音楽院卒業後ベルリンに遊学してドイツ・ロマン派の洗礼を受け、次いでスクリャービンなどロシア楽派から影響を受け、後にはドビュッシーやラヴェルの作風に心を寄せるようになった。このノクターンとクランテラはそんな時期に書かれた、作曲家として一番油が乗っていた頃の曲の一つで、シマノフスキ独特の異国情緒的ながらも神秘的で情熱的な作風がよく現れている。ノクターンとは日本語で「夜想曲」、「タランテラ」とはイタリアはナポリのテンポの速い舞曲のことである。一説では同名の毒蜘蛛に噛まれると、その毒を抜くために踊り続けなければならない・・・という話からつけられたともいわれている。

*ノクターンが日本語で「夜想曲」だと知ったとき、なんて適切で素敵な訳なんだろうと感激したことを良く覚えています。ノクターンといえばショパン、夜の訪れとともに昼間の世界が消え、神秘的だけど哀しくて寂しくて切ない、けれどどこか温かでそして自由な空気を含む闇の中で思いにふける時間、私にとって夜想曲とはそんな想像をさせる曲でしたが、このシマノフスキ作曲のノクターンは私のイメ【ジとはずいぶん遠い、魂がさすらっているような、不安で妖しい雰囲気の中で始ま。、それを打ち破るかのような民族的な旋律、そしで情熱的で華麗なクランテラへと、まるでその人の情熱が実はどれぐらいあるのか、試されているようにも聞こえます。
P.チャイコフスキー
瞑想曲
ワルツ・スケルツォ
いわずと知れたロシアの大作曲家、ピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893)は、幼少の頃より音楽の才能を表しながらも、鉱山技師だった父の理解を得られず、法律を勉強した後、法務省に勤務をしていた。しかし音楽が忘れられなかったチャイコフスキーは数年で官職を去り、音楽院に入り直し、作曲に専念、1866にはモスクワ音楽院の教授に就任した。叙情的で華麗、感傷的な旋律、豪華なオーケストレーション、クラシックに興味のないのない人でもそのメロディ一はどこかで必ず聴いたことのある、まさにクラシック界きっての人気者は、好き嫌いに関わらずクラシックの王様と呼んでも過言ではない。またロシア音楽を世界水準まで高め、世界に広めた先駆者でもある。しかしそんなチャイコフスキーも曲が発表された当初の評価はまちまちで、その評価は長い間なかなか定まらなかった。しかしその評価の定まらなさこそ、チャイコフスキーの音楽がいかに多面的で個性的であるかの証明であり、感傷的であり叙情的な、けれど情熱的で原始的でそして素朴なメロディーは、人の心を捉えて放さない力強さに溢れている。
瞑想曲は、チャイコフスキーが長いこと彼のパトロンであった、富豪のメック夫人の領地の一つであるプライロフで療養をした際、彼女に感謝の気持ちとして捧げた「なつかしい土地の思い出」の2曲目に収められている。もともとヴァイオリン協奏曲の第2楽章として書かれたのだが、周囲の反対にあって使われず、ここに再利用された。
 チャイコフスキーらしさたっぷりのワルツ・スケルツォはもともとヴァイオリンとオーケストラのために書かれており、彼のバレエ音楽に出てくるワルツを彷彿とさせる。優雅で洗練された雰囲気を持つこの曲は、その軽快さとは裏腹にヴァイオリニストの高度な技術を要求するもので、その難しさを感じさせず軽やかに弾ききるのは至難の業、ヴァイオリニスト泣かせの一曲である。ワルツとはウィーンワルツでおなじみの3拍子で優雅な舞曲、またその様式を示す。

*実は私はチャイコフスキーがあまり好きではなく、私には絶対無理な分野だと思っていました。今回生まれて初めてちゃんと演奏することになって、最初は冗談でなく私に弾くことが出来るのか不安でしたが、いざ弾いてみるとさすがチャイコフスキー、感傷的過ぎると思っていた瞑想曲の旋律に思わずのめりこんで、自分でも感傷的な気分になっているのを発見したとき、なるほど、チャイコフスキーの魅力というのは思わず聴いてしまう、思わずのめりこんでしまう……ここにあったんだなと納得することが出来ました。瞑想曲のセンチメンタルなメロディー、ワルツ・スケルツォの華麗な3拍子に、思わず耳を傾けていただけたなら幸いです。
文/加納伊都
- アンコール -
F.クライスラー 美しきロスマリン
V.モンティ チャルダッシュ


Piano 宮本千津